2014年7月21日月曜日

2014全日本マウンテンバイク選手権大会 男子エリート

何かを変えてみたくてトライした、無謀な挑戦。
25歳の夏。一生忘れる事の無い思い出が出来ました。

結果は70位。出走は71人。でも、凄く楽しかったです。悔しさもありますが、現時点ではコレ以上の結果が望めない事は解っていたので満足しています。

圧倒的脚力不足、テクニック不足、経験不足。

こんな僕に暖かい応援をしてくださった方達を見て、MTBレースを転戦する方のモチベーションを垣間見る事が出来たかもしれません。

僕のテクニックでは降りれないドロップオフからのダウンヒルセクションを自転車押して走り、長い登りで完全に心が折れた時、マリオの応援が無かったらフィードゾーンで降りてました。

フィードゾーンではキクちゃんがボトルを出してくれ、「捨ててもいいから持っていけ!」と。酷暑のレース、貴重なボトルだったはずです。もう降りさせられることが解っていた状態だったので断りましたが、凄いやる気になりました。脚はもう動かなかったけど。

足切りにあった時には完全に呼吸困難になっていてベンチで寝ていたのですが、つっちが来てくれなかったらあそこで1時間くらい寝ていたでしょう。救われました。

終始、吐きそうになりつつ、久しぶりにここまで追い込んだなぁ…でもやっぱ圧倒的にトレーニング不足だよなぁ…と妙に冷静でした。妙に冷静だからこそ色々恥ずかしく思ったのですが、他の参加者の方に迷惑をかけた場面が無かったのでそれは良かったかな?と思います。

そして、目の前で武井きょうすけさん、竹谷賢二さん、鈴木裕一さん、小笠原崇裕さん、江崎(山口)孝徳さんを見れたのは凄く貴重な経験でした。凄い。オーラが凄い。鍛えぬかれた身体から溢れ出るパワー。美しいダッシュ。得たものは本当に大きかったです。

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他にも全日本に出てみたいという方がいらっしゃるかもしれませんので、備忘録がてら記録を残しておこうと思います。

事の発端は5月末、メタノールが街乗り快速仕様として組み上がるか否かというタイミングでした。4月から医科歯科に進学し、今までとは比べものにならない具体的かつ長期的な展望が立ったことで、僕が今後自転車に費やす事が出来る時間というものが非常に明確に見えてきました。今までの色々な出来事に区切りをつける意味で「何か今年はチャレンジしてみよう。」と思いました。

数年前、地元のショップで「ゆくゆくは何かしらの全日本選手権に出てみたいんです。」という話をしていた時の事を思い出しました。

馴染みの店長「マウンテンバイクなら出れるよ。」

僕「えっ?でも、自転車とか色々ハードル高いですよね…」

*これに関してはこのレポートの最後に詳細を纏めています。

目の前には丁度組み上がるか否か…というメタノールがありました。

このメタノール、前々から欲しかったもので、買ったのは医科歯科の2次試験直後。4月から何をしているか解らない状態でとりあえず組むか…という流れで友人宅に保管されていたものです。東京に引っ越す事が決まり、街乗り用のバイクとして組むことが決まったものの、試験のストレスで手当たり次第パーツを買った結果、XT一式(FDのみXTR)、フルカーボンフレーム、リッチーのカーボンハンドル、ロルフドロミテと街乗りで使うにはあまりにも勿体無い部品が揃いました。余裕が出来たら良いフロントフォークを買うかなぁ…と思って、適当なアルミリジッドフォークを入れて組みあがりを待っていました。

脳内会議の結果、「このメタノールにマトモなフォークを入れればマウンテンバイクの全日本選手権に出れるんじゃね?」という結論が導き出されたわけです。

当然、問題は山積みです。

・トレーニングが出来ない。(時間が確保出来ない)

・住んでいるところの近所にはトレイルが無い。

昨年全日本に出たカズマさんに相談させて頂いていたのですが、「1年間Jシリーズを転戦してから出るというのも一つの手ではあるんだけど、出られる時に出る。というのも鉄則なんだよね。出たい時に出られないのがサラリーマンレーサーや学生レーサーの辛いところだよね。」と言われました。絶対に動かせない予定が入らない事が確定している今年、無理してエントリーすることを決めました。

不要なノイズが入ると色々面倒なので親しい友人数人にのみ伝え、コソコソと準備しました。

目標は非常にシンプルでした。
・全日本選手権に出走すること
・大学生活に差し障るような大怪我をしないこと
・他の選手に迷惑をかけないこと

トレーニング時間が取れない、取れたとしても他の人と比べると圧倒的に少ない。怪我で試験が受けられなかったら困る。他の人に迷惑をかけるのはNG。

エントリーすることを決めてからはJCFの登録、日本マウンテンバイク協会の登録(今年は不要でしたが一応念の為に登録しました。)、全日本へのエントリーと非常に慌ただしかったです。月〜金の9:10~18:00は大学に拘束され(金曜日は実験があるので遅い日は22時過ぎまで…。更にキャンパス移動などで一日3時間〜4時間が消えます。)、週1日2時間のバイト、土日に不定期に入る大学の実習…。エントリーの為の書類を準備して発送する段階で四苦八苦しました。

エントリー終了後、自転車の組み立てをお願いしていたカンサイさんにフロントフォークを注文。テーパード+26インチ+9mmクイックリリースという、絶滅危惧種どころか世代交代の闇に飲まれている規格の最後の一本だったそうです。そこからバタバタと自転車が組み上がったのが6月頭。全日本まで一ヶ月半という時でした。

組み上がってから、バランスの取り方など基本的な動作を完全に忘れていたので小林さん、山ちゃんに教えて貰いつつ、通学で自転車に乗る事を夢見ていました。

はい。夢見ていました。

まさかの梅雨で全く乗れない日々が来るとは…。
まさか全日本前日まで試験とレポートの闇に飲まれるとは…。

2012年にハイエースにぶっ飛ばされた大事故以来、トレーニングからは完全に遠ざかっていたので基礎体力などあるはずも無く()

一応インターバルはしました。直前一ヶ月でトータル100kmくらいは乗りました。何回か吐くまで追い込んでます。だいごくん呼び出して練習に付き合ってもらいました。強豪サラリーマンレーサーの皆さんはどうやって練習時間を確保しているのか不思議で不思議でしかたがなかったです。


と、迎えた全日本直前の木曜日、僕が日にちを勘違いしているという大ポカをやらかした事が発覚し、全てのスケジュールを組み直したなど、完全にキャパを超えていたことは否定出来ません。日曜日、ランチ入ってました…。デートぇ…。すっごい楽しみにしてたデート(´;ω;`)ブワッ

いやもう全日本ぶっ飛ばしてデート行こうかと思って、あーだこーだ言ってたんですけどね()流石にね()

金曜日につっちと合流し、土曜日は朝から小田原に寄ってカズマさんからホイールを借り(結局使いませんでしたが)、15時過ぎに会場入りして受付を済ませ、旅館に行き就寝。「ジャージどっちのサイズを着よう」とか、「落車だけはいやだな」とか考えていたら全然寝れませんでした。起きてから風呂に入り、コンビニに寄って会場へ。慌ただしく準備して試走。試走ではぶっ飛んで山から落ちブッシュに突撃。左腕と左脚に思いっきり擦り傷を作りましたが骨折などは無かったので安心しました。

試走の段階で1周終了後に足切りに合うことは解っていたのであまりプレッシャーは感じませんでした。

とにかく各セクションを楽しんでクリアしていこう。美しくクリア出来たらなおよし。と自分に言い聞かせるものの、こんな状態で出て良いのか自問自答を繰り返しつつマスターズのレースを観戦。今年はダウンヒルセクションでの観戦が出来なくなっていたようで、そこを走ってクリアしないといけない僕には幸運だなぁ…なんて呑気な事を考えていました。

テースケさんはパンクリタイア。あさかさんは快走したものの途中で足切り。皆大変だなぁ…と思いつつ、つっちが来たので一度車に戻り昼寝。茂みの中でセクションクリア方法を見ようと思っていたのですが、あまりにアクセスが悪く断念しました。


昼寝後はアップをし、45分前から移動、レーススタートだったわけですが、凄く緊張していた時につっちがずっと横に居てくれて心強かったです。途中、キクちゃんが冷やかしに来てくれて嬉しいと共に凄く焦りました。



レースそのもので特筆すべき点はありませんでした。スタート直後にサスペンションをロックアウト、ダッシュに加わりながらも他の人に迷惑をかけないよう色々考えつつ位置取り。何回か渋滞したのであまり走ってる時は位置取りを考える必要は無かったですね。最初から他の人に迷惑をかけないようにしようとしか考えられないヘタレっぷりに泣きつつ、他のテールエンダーの走りを観察。テクニックというよりは脚力で負けている部分が凄く多いなぁ…と妙に冷静に分析していました。実際、前を走っていた人とはテクニカルセクションの終わりでは差が詰まるのですが、パワーセクションで圧倒的な差が。機材的な部分はほぼ横並びだったので、心と脚の違いですね…。テースケさんにも言われましたが、トレーニング不足で恥をかいたのは事実ですが、一歩踏み出せたというのは凄く大きかったかなと。一人旅は中々悲しいものがありますが、最初から予想していた通りなので想定の範囲内でした。

終わった(足切りにあった)時に感じたのは「やっと楽になるけど、何か凄い不完全燃焼感強いなぁ…」と。何か悔しいなぁ…と思いつつ、色々な感情が溢れでてきて動けませんでした。


上記の目標は全て達成しました。真面目にレースをやってる人からは確実に怒られる内容だとは思いますが、目標を達成出来たという点は非常に満足しています。(意識が凄く低い)


色々な意見はあると思いますが、これが僕の全日本参戦レポートです。来年以降どうするかは何も考えていません。来年は順調に行けば解剖実習などが入り、土日も完全に潰れるという噂があるので1年スキップして再来年辺りにJシリーズの転戦が出来たら良いなぁ…と考えていますが、色々難しそうです。とにかく時間が無い。お金が無い。

一応、今年はシクロクロスにも出ようと思っていますが、寒いのが無理な人間なので挫折しそうです。

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最後に今回の全日本参戦の為に必要だった経費を概算ですが纏めておきます。
(自転車はセールを駆使してるのでもうちょっと安いですがとりあえず定価計算で。)

・自転車(2012 Bianchi Methanol SL2):57万
フレーム:20万
フォーク:12万
コンポとか:10万
その他諸々:15万

・遠征費:3.8万
レンタカー:15000
高速代:6000
ガス代:7000
宿泊費用+食事費用:10000

・登録、エントリー費用:2.1万
JCF登録:5000
マウンテンバイク協会登録:8100
全日本選手権エントリー費:7500

合計すると大体60万ちょっと。これに加えてレース参戦の為に48時間ほど使いました。

個人的に厄介だと感じたのは登録でした。JCF登録から地味にハードルが高い事に加え、全日本選手権の情報の少なさや確認のしづらさなど、参加しようと思ったら色々頑張らないといけません。(ってか、これは過去に登録したことが無いと無理でしょ…。周りに教えてくれる/ヒントをくれる人が居ないと登録まで辿り着かない現状はニワカを遠ざける為の良いシステムなのかもしれませんがやっぱりハードル高いです。)

自転車に関しては難しいです。マウンテンバイクでの高級機材は楽をできる事に加え、テクニックを補ってくれる側面が凄く大きいです。僕が今回とりあえず何とか走れたのは機材のおかげだったというのも事実です。軽い車体、精度の高いフロントサス、トラクションのかかるフレーム、どんなコンディションでも安定して止まれるブレーキキット、粘るタイヤとホイール。メタノールには本当に助けられました。グレードの低いものでも同じような結果だったとは思いますが、バイクと組んで貰ったメカニック(僕の場合はカンサイさん)を全面的に信頼出来るというのは凄く大事な事だと思います。

あと、ある種の厚顔無恥というか、割り切りは重要だと思います。それが無いと確実に心折れます。


サポートしてくださった皆さん、ありがとうございました。
本当に良い経験になりました。

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